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最高裁判所第二小法廷 昭和37年(オ)810号 判決

上告人 江田時男(仮名)

被上告人 高山進(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人梅田林平の上告理由第一点について。

訴外江田久子は昭和三二年八月三〇日頃被控訴人(被上告人)との間で本件建物を代金一三〇万六、〇〇〇円で売り渡す契約を締結した旨の原審の認定は、原判決挙示の証拠により、肯認することができ、本件記録を精査しても、上告人が原審で所論虚偽表示による無効の抗弁を提出した形跡は認められない。したがつて、原判決に所論の違法はなく、所論は、ひつきよう、原審の適法にした証拠の取捨判断ないし事実の認定を非難するに帰するから、採用できない。

同第二点について。

本件売買契約締結当時、江田久子が心神喪失の状態にあつたことは認められない旨の原審の判断は、証拠関係に照し、相当であり、本件売買契約は暴利行為ではなく、公序艮俗に反するものではない旨の原審の判断は、本件売買に関し原審の確定した事情のもとにおいては、相当である。

そして、売主およびその相続人の共有不動産が売買の目的とされた場合において、売主が死亡し、相続人が限定承認をしなかつたときは、買主が当該不動産の共有者を知つていたかどうかを問わず、相続人は、無限に売主である被相続人の権利義務を承継するから、右売買契約成立当時、共有者の一員として、当該不動産に持分を有していたことを理由とし、その持分について右売買契約における売主の義務の履行を拒みえないものと解するのが相当である。ところで、原審の確定したところによれば、江田久子は自己およびその相続人である上告人の共有に属する本件建物を被上告人に売り渡し、その後江田久子は死亡し、上告人は限定承認をしなかつたというのであるから、上告人は被上告人に対し本件建物全部について所有権移転登記手続をする義務の履行を拒みえないものといわねばならない。したがつて、本件建物に対する上告人の三分の二の持分についても、本件売買契約による上告人の義務は履行不能とはいえない旨の原審の判断は正当である。所論は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断ないし事実の認定を非難し、右と異なつた見解に立つて原判決を攻撃するに帰するから、採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官山田作之助の補足意見および裁判官奥野健一の反対意見あるほか、全裁判官一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官山田作之助の補足意見は次のとおりである。

第三者所有の物件を売買の目的とした場合でも、売主は、当該売買契約が民法五六一条、五六二条等の諸規定により解除されないかぎり、買主に対しその物件の所有権を移転する義務があるから、契約締結後売主の地位または物件所有権の変動により売主の地位と物件の所有権が同一人に帰するに至つたときは、売主はあたかも当初から自己所有の物件を売買した場合と同様の地位に立ち、契約締結当時その物件が第三者の所有に属したからといつて、買主にその物件の所有権の移転を拒むことができないことはいうまでもない。されば、被相続人が、売主となり、相続人所有の物件について売買契約を締結した場合において、被相続人の死亡により相続が開始し、相続人が被相続人の売主たる地位を承継したときは、売主の地位と売買物件の所有権とが同一人に帰することになるから、相続人としては、買主に対しその物件を譲渡するという売主としての義務の履行の責を免れえないことは当然の帰結といわねばならない。しからば、売買としての被相続人の義務を承継した相続人が、売買物件が自己の所有であるにもかかわらず、右義務の履行を拒みうるとする見解には同調することができない。

裁判官奥野健一の反対意見は次のとおりである。

上告代理人梅田林平の上告理由第二点について。

一、本件不動産は訴外江田久子が三分の一、上告人が三分の二の持分を有する共有物であつたところ、訴外人は本件不動産を被上告人に代金一三〇万六、〇〇〇円にて売り渡したものである。従つて、本件不動産の三分の二の持分については所謂他人の物の売買であり、右訴外人は右持分権を上告人より取得して、これを買主に移転する義務を負担しているのであるが、第三者たる上告人は自己の持分権を移転する義務を負つていなかつたのである。然るところ、右訴外人の死亡により、上告人が右訴外人を相続した結果、右訴外人の権利義務を承継したものであるから、右訴外人の負担していた上告人の持分権を取得して被上告人に移転すべき所謂第三者の物の売買契約上の義務を承継することは疑を容れないところではあるが、上告人所有の三分の二の持分権は固より相続の対象ではなく上告人は依然第三者として自己の持分権の移転を承諾するか或はこれを拒否するかの諾否の権利を有しており、相続のため、この自己固有の権利まで奪われるものではなく、また勿論これを承諾する義務もない。かかる諾否の権利は相続人たる地位とは無関係に自己本来の固有の権利として主張し得るものと解すべきである。けだし、相続人は被相続人の地位を承継するだけあつて、それ以上の義務を負担するものではなく、債権者も被相続人に対して有する以上の権利を相続人に対して主張することは許されないからである。

一、然るに原判決は「このような場合は自己所有の物の売買と同視すべき結果になつて履行不能の余地は生ぜず、被上告人が売買当時上告人の右持分を知つていたとするも上告人は被上告人に対し右売買に基く所有権移転登記手続義務を免れない。」と判示する。しかし、若し上告人主張の如く、被上告人が上告人の持分を知つていたとすれば、買主たる被上告人は第三者たる上告人がその持分権の移転に応じない限り、契約の解除ができるだけであつて、損害賠償の請求権すらないのである(民法五六一条)。然るに相続という偶然の事実のため、上告人の持分が当然上告人に移転し、上告人に対しこれが移転登記請求権を取得するとすれば、被上告人は、被相続人に対して主張できなかつた権利まで相続人に対して新に取得することになる。また、原判示の趣旨によれば、仮に上告人が相続以前既に自己の持分の移転を明白に拒否していたとしても、相続の結果自己の意思に拘らず、自己の持分権が当然に被上告人に移転するのであろうか。

一、昭和三七年四月二〇日言渡の当裁判所の判決(昭和三五年(オ)第三号集一六巻四号九五六頁)は、被相続人が相続人所有の不動産を代理権限なきに拘らず、恣に相続人の代理人として売り渡した後、相続人が被相続人の家督を相続した事案について「相続人たる本人は被相続人の無権代理行為の追認を拒絶しても何ら信義に反するところはないから、被相続人の無権代理行為は一般に本人の相続により有効となるものではない。」と判示している。その趣旨は相続によつて当然に本人自身の行為となり又は当然に無権代理行為の追認となるものではないことを判示したものと解せられる。本件において、若し訴外江田久子が上告人の代理人として上告人所有の持分権を売却したと仮定すれば、右判例により売買契約は上告人本人が為したものと同視されることなく、その趣旨において上告人を拘束しなかつたのである。然らば、始めから第三者の持分としてこれを売却した本件においては、一層強い理由で、本件売買契約は第三者たる上告人を拘束しないものといわねばならないのではなかろうか。

一、これを要するに、相続人は被相続人の地位を承継するだけであるから、被相続人の負担する義務以上のものを負担するものではないのであつて、若し本件において被相続人たる訴外江田久子が死亡してなかつたとしたら、上告人の承諾のない限り、本件不動産上の上告人の持分権は、被上告人に移転する筈はなかつたものであるところ、偶々右訴外人の死亡による上告人の相続という事実のため、当然上告人の持分権がその意に反して買主たる被上告人に移転し、その移転登記に応じなければならないということになれば被上告人が売主たる右訴外人に対して有していた以上の権利を、その相続人に対して有することになり、相続の法理に反するものである。よつて、論旨は理由があり原判決は破棄を免れない。

(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)

上告代理人梅田林平の上告理由

第一点省略

第二点

一、原判決は法令に違背した違法がある。

(一)上告人は抗弁として仮りに上告人の亡母江田久子が昭和三二年八月三〇日被上告人に対しその主張のように本件建物二棟を売却する意思表示、即ち売買行為をしたとしても久子は当時脳梅毒により意識蒙ろうとして常規を逸するの言語動作ありて所謂心神喪失の状態にあつたから右売買の意思表示は意思無能力の状態においてなされたものとして無効でありなお且つ(二)仮りに右久子が右売買当時心神喪失の状況にあつたと云う程度でないとしても同人は昭和三一年一二月頃から病床に伏し各方面の医師の診断治療を受け自宅において臥し治療に努め居りたるところ昭和三二年七月二七日自宅風呂場で倒れ、爾来病床にいたまま歩行すら不能の状況にあり本件家屋の売買がなされたと称する昭和三二年八月三〇日頃は一歩の外出も不能な状態で各医師の診断を受け就中被上告人とは旧知の仲であり被上告人は当時大垣市逓信診療所の医師(公務員)をしていたので久子の希望により上告人は被上告人の診断治療を需め被上告人もバイト的に久子の治療に当り久子の病状、その精神状態殊に正常な意思決定をなし得ない状態を充分知悉しながら敢て本件家屋の売買を締結したもので尠くとも江田久子が当時正常な意思決定を為し得ない状況を利用し時価五百万円前後の価値あるものを敢て百三十万六千円と云う通常の取引価格でない不当廉価を以て買受けたもので斯る法律行為は所謂暴利行為として公序良俗に反する無効の法律行為であるとの上告人の主張に対し、原審は(この点に対する第一審判決理由をそのまま援用している)先ず(一)について江田久子が昭和三二年八月三〇日頃本件売買をする様な判断力を欠いていた旨の証人佐川照一、川村高男、江田憲二の各供述を易く排斥し、証人林直一、岡一郎の各供述のみによつて久子が当時心神喪失の状態にあつたと認むべき証拠なく反つて成立に争のない乙第八号証、証人岡一郎、三田弘、大田欽三の各供述によれば当時久子の言動に常人と異るものがあつたと認め得るにとどまるから、上告人の抗弁を容るる能はずとして排斥されている。然れども証人林直一の診断したと称する時期は右売買当時より時間的に相当な以前のことであり、証人岡一郎が診断したのは成立に争のない乙第四号証と同人の第一審における証言にある如く昭和三二年一二月一五日から同月一七日迄になされたもので久子の病状稍小康を得て愛知県稲沢町の上告人の兄方を訪問する途次稲沢駅で行路疾病者として保護を受けたる時のことで本件売買行為時より約四ヵ月半も以後のことであることはこれまた明瞭な事実に属するのみならず反つて同医師作成の乙第四号証の死亡診断書記載内容によれば「その他の身体状況」欄に「精神神経症」継続期間約六ヵ月とあつて久子の病状が精神障害であつたことを証明されているのである。なお証人大田欽三の第一審における供述内容は同人が久子を病床に見舞つた際は精神蒙ろうの状況にあつたと証言され相当重症な精神障害があつたことを看取し得たと供述されていて久子のかかる精神障害が脳梅毒であると否とを問はず正常な判断能力を欠如していた事実は乙第八号証の稲沢駅公安官室の宿直日誌、証人三田弘の証言においても同様な状況が推認されるのである。これに併せて公文書なる故を以て成立自体に争なき甲第二号証に依れば本件家屋売買の公正証書は売主の江田久子は訴外司法書士小口三郎の妻小口花が代理し買主たる被上告人は訴外司法書士小口三郎において代理作成されている事実も(偽造の疑があるが別として)久子の病状の一端を推理し得るところである。要するに原審は以上の点に対する第一審の判断の誤りを看過し上告人の抗弁を易く斥けたもので審理不尽乃至は理由不備を致している。次いで(二)の暴利行為についての抗弁に対し「なるほど鑑定人早野桂の鑑定の結果によると右売買当時本件右建物の時価は約三百三十万円であつたことは認められるが他方上告人本人の供述によると右建物の敷地は借地であることが認められ同借地権を被上告人に譲渡するについて賃貸人の同意を得たとの確認のないことを考慮すると被上告人の前示代金をもつてする売買行為は暴利行為であるとは認められないから」との理由を以て排斥されている。然れども鑑定人早野桂の第一審における鑑定の結果(鑑定書記載)によれば右認定の価格は借地権の価格を含まない本件家屋のみの昭和三二年八月三〇日当時の売買相当額が鑑定されていることは本件記録中の鑑定人早野桂の鑑定書の記載内容に徴し一点の疑義の存しないところであるばかりでなく上告人の抗弁立証の証拠方法として採用の上原審において本件建物二棟に対する当時の価格照会による回答によるも建物自体(借地権を別として)を金三百万円以上に評価(この評価は課税上の評価で個人間の取引価格の二分の一位であるのが一般の経験則である)されている点から考えても本件建物の昭和三二年八月三〇日時に於ける取引価格は早野鑑定人の鑑定価格たる金三百三十万円を最低としそれ以上の五百万円迄位の程度が相当であることが認められ得るのである。これを被上告人と江田久子間にその三分の一程度の廉価を以て売買されたものとせば他に特別の事情の存しないかぎり通常の取引上あり得べからざる事理に属するのである。尤も本件家屋を取毀しの上他に移築するが如き特約の下に売買されたる場合の如きはそのままの状態において之を利用する場合に比し著しく低廉の価格を以て取引されることは実験則上首肯し得るところであるが被上告人の供述にもある如くその場所、即ち建特所在地で医業を開業しこれを利用する目的であつた事実が認められる本件の場合においては尚更ら時価相当額を以て売買されることが取引上の常識である。被上告人主張の如く事実これを時価の三分の一程度の価格たる前叙金百三十万六千円を以て売買されたものとせば売主たる江田久子の軽卒無経験乃至は心神喪失の程度の精神障害に非ずとするも尠くとも前叙縷述せる如く正常なる判断力を欠如せる精神障害による浅慮に乗じて締結されたる売買であつて信義と社会正義に著しく背反した所謂公序良俗に反する無効の売買である。しかるに原審が右の如き事実並に法律関係を考慮することなく前叙の理由のみによつて容易に上告人の抗弁を排斥したるは審理不尽乃至民法第九〇条の解釈を誤りたる違法があり破毀を免れないものと信ずる。

二、更らに上告人は抗弁として仮りに江田久子が被上告人主張の如く本件家屋の全部の所有権を被上告人に売渡す契約をなしたとしても本件家屋の所有権は売買時たる昭和三二年八月三〇日当時上告人において持分三分の二、売主江田久子において持分三分の一を有する共有不動産であることは当事者間に争のない事実であつて原判決もその事実を証拠によつて確定しているところである。従つて江田久子の右本件家屋に対する処分権は同人の持分三分の一にのみ存し他の三分の二は所謂他人の物であるからその全部を被上告人に売買した行為は上告人の持分三分の二については所謂他人の物の売買に該当するか乃至は民法第五六三条に謂う権利の一部が他人に属する場合か二者その一に帰するところ被上告人が昭和三二年八月三〇日本件家屋について江田久子と売買する際司法書士小口三郎を介し本件家屋の登記原簿を閲覧しこの持分関係の事実を知つて売主江田久子は本件家屋に対しては三分の一の持分しか有しないことを知り久子と売買をなしても本件家屋の所有権全部を取得しこれが移転登記が出来ない事実を知つた上敢て売買を為し甲第一号証の公正証書の作成に切替えたもので被上告人は民法第五六一条但書に該当する悪意の買主であるから上告人は右家屋に対するその固有の権利(江田久子の持分と無関係な)たる持分三分の二に対しては第三者として本訴において(江田久子が本件家屋全部の売買契約をしていたことは同人死亡後三ヵ月以上経過した本訴の提起により昭和三三年四月中訴状の送達により始めて知つたがその時は既に相続の限定承認の法定期間経過後であつた)権利移転を拒否する意思表示を為し履行不能の主張をした(昭和三四年一二月三日附準備書面第三項参照)かくして本件建物の所有権に対する江田久子の売主としての所有権移転義務中他人の権利に属する即ち上告人の固有の持分三分の二は所謂履行不能であるから被上告人は尠くとも上告人に対しては本件建物全部に対する所有権移転登記の請求権を有しない。又右本件家屋の持分所有関係を民法第五六三条に謂う権利の一部が他人に属する場合と視るときは前記上告人の抗弁と同一理由により被上告人は代金減額請求権を有するに過ぎないとの抗弁に対し原判決は「上告人が江田久子の遺産を相続したからには上告人は久子が被上告人に対して有した右三分の二の持分を取得して被上告人に移転する義務を承継し、しかも右相続当時上告人が依然右三分の二の持分を有していたからかかる場合は自己所有の物の売買と同視すべき結果になつて履行不能の余地は生せず被上告人が右売買当時上告人の持分を知つていたとするも上告人は被上告人に対し右売買に基く所有権移転登記手続義務を免れない」と判示し上告人の抗弁を排斥した。もし斯くして上告人は江田久子の遺産相続をなした一事のみにより上告人固有の持分三分の二の所有権迄も被上告人に移転すべき義務あるものと解せんか遺産相続と云う法律関係の発生によつて上告人固有の権利形態に変貌を期し上告人は固有の権利迄喪失しその全財産を失うの悲運を招来することとなり著しく社会正義に反する不合理の結果を見るのである。殊に本件の如き上告人が江田久子において同人の持分以外の上告人固有の本件家屋に対する持分三分の二の所謂他人の権利迄を売買した事実を知悉したのは久子の死後四ヵ月以上も経過(売買時より八ヶ月後)した後本訴によつてである場合の如きに於ておや、である。およそ遺産相続たるや民法第八九六条に明定する如く相続人は相続開始の時から被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継するものではあるが相続人固有の財産権その他の権利に基く履行拒否権とか取消権等は主観的、相対的(客観的不能に対して)なものであつても相続人たる地位とは無関係において固有の権利者として主張し得るものと謂わなければならない。上告人が原審に於て主張したる趣旨もまた茲に存することは前掲縷述するところでこのことは同条の法意に徴し且つ立法の趣旨から観て明かなところである。従つて上告人の固有の権利である本件家屋に対する持分三分の二に対しては上告人の履行拒否の意思表示により履行不能を期し単に江田久子の持分三分の一に対しては久子の遺産相続人として同人の財産に属する権利義務の包括承継人として移転登記の義務あるものとするならば格別本件家屋の全所有権の移転並に明渡しを求める被上告人の本訴請求を全面的に容認したる原判決は判決に影響を及ぼすこと明なる法令違背が存し破棄を免れないものと信ずる。

参考一

一審(岐阜地裁大垣支部 昭三三(ワ)四三号 昭三五・七・二八判決 認容)

原告 高山進(仮名)

被告 江田時男(仮名)

主文

被告は原告に対し、別紙目録記載の建物につき昭和三二年八月三〇日売買に因る所有権移転登記手続をせよ。

被告は原告に対し別紙目録記載の建物を明渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

(申立)

原告診訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求めた。

(請求原因)

原告は、昭和三二年八月三〇日江田久子より同人及び被告の共有にかかる(持分は久子が三分の一、被告が三分の二)別紙目録記載の建物を代金一三〇万六、〇〇〇円で買受け、即時右代金を支払い、久子は被告の持分を取得してこれを原告に移転すべくかつ原告の請求次第これが所有権移転登記手続及び明渡しをすることを約束したが、久子はその履行前たる同年一二月一七日死亡し、被告は同人の相続人として右義務を承継したので、原告は被告に対しこれが履行を求める。

(請求原因に対する答弁)

原告主張建物がその主張のように江田久子と被告との共有であつたことと、江田久子が原告主張の日に死亡し、被告がこれを相続したことは認め、その余は否認する。

(被告主張の抗弁)

一、仮に江田久子が昭和三二年八月三〇日原告に対し、その主張のように本件建物を売却する等の意思表示をしたとしても久子は当事脳梅毒症により心神喪失の状態にあつたから、右意思表示は意思無能力者のしたものとして無効である。

二、仮りに右久子が右売却当時心神喪失の状態でなかつたとしても、同人は右病気のため思慮浅薄の状態にあつたもので、原告は同人の無思慮に乗じ、本件建物の時価が当時金五〇〇万円前後であつたにも不拘、敢て一三〇万六、〇〇〇円の不当廉をもつて買受け暴利を得たものであつて、右買受行為は公序良俗に反する無効のものである。

三、仮に本件売買が有効に行われたとしても、右売買契約当時本件建物の所有権の持分は久子が三分の一、被告が三分の二であつて、被告は久子に対し被告の右持分を売却する代理権を与えたこともなく、その他久子は被告の持分を処分する権限を有しなかつたから、右は明らかに無権代理行為か乃至は他人の権利の売買であるというべきである。よつて被告は、右売却が無権代理とすればその無効を主張し、他人の権利の売買とすれば本訴において右被告の固有持分たる三分の二については権利を移転することができない旨の意思表示をする。

(抗弁に対する原告の答弁)

被告の抗弁事実は否認する。

(立証)

省略

理由

一、原告の主張事実中、江田久子及び被告が昭和三二年八月三〇日当時別紙目録記載建物を共有し、持分は江田久子が三分の一、被告が三分の二であつたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第二号証、原告本人の供述により真正に成立したと認められる甲第五号証及び証人小口三郎並びに原告本人の各供述を総合すれば、原告は昭和三二年八月三〇日頃江田久子から別紙目録記載の建物を代金一三〇万六、〇〇〇円で買受けたが、当時右建物は前記のように久子と被告との共有であつたので、久子は原告に対し被告の持分を取得してこれを移転し右建物全部につき所有権移転登記手続及び建物明渡をすることを約束し、当時右代金の支払を受けたことが明らかであつて、乙第三号証、第五号証の二によるも右認定を左右し得ず、また原告が右買受後久子から右建物の右持分につき原告の久子に対する一七万円の貸金債権担保のため抵当権の設定登記を受けたとの事実もまた原告本人の供述に徴し右認定を左右すべきものとは認められず、その他右認定を覆えすべき確証はない。

二、被告は、前記売買契約のあつた昭和三二年八月三〇日頃江田久子は脳梅毒症により心神喪失の状態にあつたと主張するが、久子が当時本件売買をするような判断能力を欠いていた旨の証人佐川照一、川村高男、江田憲二の各供述は証人林直一、岡一郎の各供述に徴し措信し難くその他久子が当時心神喪失の状態にあつたと認むべき証拠はなく、かえつて成立に争のない乙第八号証、証人岡一郎、三田弘、大田欽三の各供述によれば、当時久子の言動に常人と異るものがあつたことを認め得るにとどまるから、被告の右抗弁は採用しない。

三、被告は、、右売買当時右建物の時価は五〇〇万円前後であつたから、被告が久子からこれを代金一三〇万六、〇〇〇円で買受けたのは、久子の無思慮に乗じた暴利行為で、公序良俗に反し無効であると主張する。なるほど鑑定人早野桂の鑑定の結果によると、右売買当時右建物の時価は約三三〇万円であつたことは認められるが、他方被告本人の供述によると、右建物の敷地は借地であることが認められ、同借地権を原告に譲渡するについて賃貸人の同意を得たとの確証のないこと等を考慮すると、原告の前示代金をもつてする買受行為は暴利行為であるとは認められないから、右抗弁は採用しない。

四、果して然らば、久子は前示売買契約にもとずき、被告から右建物の三分の二の持分を取得してこれを原告に移転すべく、かつ原告に対し右建物につき売買による所有権移転登記をなしこれを明渡すべき義務あるものというべきところ、久子が昭和三二年一二月一七日死亡し、被告が相続により同人の地位を承継したことは当事者間に争がないから、被告が限定承認をしたとの事実の認められない本件にあつては被告は久子の右義務を全部承継したものという外なく、従つて右三分の二の持分については所謂第三者の物の売買における売主の地位と第三者の地位とが同一人に帰した場合であるから被告は右持分が相続開始前から自己に属していたことを理由に、右持分が原告に移転し、かつ右建物につき登記及び明渡をすることを拒み得ないと解すべきである。しかしてかかる場合、被告の右持分は久子の右義務の効果として何らの行為を要せず相続開始とともに当然に原告に移転するというべきである。なお被告は右売買が久子の無権代理行為であることを前提としてその無効を主張するけれども、久子は自らの名において被告の持分をも売却したものであることは前示の通りであつて、久子が被告の代理人と称してこれを売却したことを認めるに足りる証拠はないから、右主張は採らない。

以上説示の通り、被告は久子の承継人として原告のため右建物につき昭和三二年八月三〇日附売買による所有権移転登記手続をなしかつこれが明渡をすべきものであるから、原告の請求を全部理由ありとして認容し訴訟費用は敗訴者たる被告に負担せしめて主文の通り判決する。

別紙

目録

大垣市郭町一丁目○○番

家屋番号第○○番の二

一木造かわらぶき二階建居宅

建坪三六坪四合四勺

二階坪一二坪二合五勺

同所同番

家屋番号第○○番の五

一、木造かわらぶき二階建店舗

建坪三〇坪

二階坪三〇坪

参考二

二審(名古屋高裁 昭三五(ネ)四五一号 昭三七・四・二〇判決 棄却)

控訴人(被告) 江時男(仮名)

被控訴人(原告) 高山進(仮名)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求めた。

被控訴代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに立証関係は左に附加する外原判決事実摘示のとおりであるから之を引用する。

控訴代理人の陳述

仮に江田久子が被控訴人に対し本件建物を売渡すことを約したとするも、控訴人の右建物に対する三分の二の所有権の持分については被控訴人は控訴人に対し移転登記手続を求める権利を有しない。すなわち、

一、右三分の二の持分については、いわゆる他人の権利の売買であるから履行不能である。しかも被控訴人は右売買当時控訴人が右三分の二の持分を有することを熟知して買受けたものであるから民法五六一条但書に該当する悪意の買主である。

二、又右売買が民法五六三条に該当するところの権利の一部が他人に属する場合とせば被控訴人は単に代金減額の請求権を有するに過ぎない。

立証関係 省略

理由

案ずるに、当審も被控訴人主張の売買の事実を認め、控訴人主張の意思無能力及び公序良俗違反の各抗弁事実を認めないと判断し、その理由は、右売買の認定資料として当審証人小口三郎の証言、当審における被控訴本人尋問の結果を加える外、原判決説示のとおりであるから、ここに之を引用する。

右認定に反する当審における控訴本人尋問の結果は措信せず、乙第九号証も未だ右認定の妨げとはならない。

控訴人は右売買当時控訴人が右建物に三分の二の所有権の持分を有していたから、右持分については他人の権利の売買であつて履行不能であり、しかも被控訴人は売買当時控訴人の右持分を熟知していたから被控訴人は控訴人に対し本件建物の右三分の二の持分については所有権移転登記手続を求める権利を有しないと主張するが、控訴人が江田久子の遺産を相続したからには、控訴人は久子が被控訴人に対して有した右三分の二の持分を取得して被控訴人に移転する義務を承継し、しかも右相続当時控訴人が依然右三分の二の持分を有していたから、かかる場合は自己所有の物の売買と同視すべき結果になつて履行不能の余地は生ぜず、被控訴人が右売買当時控訴人の右持分を知つていたとするも控訴人は被控訴人に対し右売買に基く所有権移転登記手続義務を免れない。

又控訴人は右持分を有したから、右売買は民法第五六三条に該当するところの権利の一部が他人に属する場合である。従つて被控訴人は控訴人に対し単に代金減額の請求権を有するに過ぎないで本件建物の所有権移転登記手続を求める権利を有しないと主張するが、同条は売買の目的である権利の一部が他人に属し、之がためその分の履行不能の場合に買主に代金減額請求権を与えているものであるから一部履行不能でもない本件売買については被控訴人は控訴人に対し本件建物の全所有権につき移転登記手続を求める権利を有すること勿論である。

しからば控訴人に対し本件建物の所有権移転登記手続及び之が明渡を求める被控訴人の本訴請求は正当として之を認容すべきである。

よつて右と同じ判断をした原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから之を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴九五条、八九条に則つて主文のとおり判決する。

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